オアハカ市から東へ約46キロ、乾いた山間に佇むミトラ遺跡は、古代サポテカ文明の都市遺跡であり、その最大の特徴は、石を精緻に組み合わせた幾何学模様のモザイク装飾。釘や漆喰を使わず、大小の石片をぴたりと組み合わせた壁面は、直線や階段状の文様が連続し、時を超えても鮮やかな存在感を放っている。
紀元800年ごろに近隣のモンテ・アルバンが衰退すると、ミトラはサポテカ族の中心地として栄え、やがてこの地に勢力を伸ばしたミシュテカ族の影響を受け、建築様式や装飾に変化が生まれた。モザイクの幾何学文様には、永遠の循環や宇宙の秩序を象徴する意味が込められ、宗教儀礼や権威の表現にも用いられたと考えられている。
約30メートル四方の正方形広場を囲む壁面一面には、雷文、菱形、波状渦巻といった幾何学模様のモザイクがびっしりと施されている。モザイクは彫られているのでなく、積まれた石でできている。
これらは単なる装飾ではなく、雷文は稲妻や生命力、菱形は大地の豊穣、波状渦巻は水や永遠の循環を象徴するとされる。何百年も前に一片ずつ石を組み上げたその精緻な文様は、今も色あせず、古代人の宇宙観と祈りを語りかけてくる。
地下墳墓の内部へと足を踏み入れる。ここはかつて、いけにえとされた人々の遺体が発見された場所だ。壁面には、隙間なく積み上げられた切石のモザイクがびっしりと張り巡らされている。一方、その背後を支える大きな石材は、重さを分散させるよう工夫された積み方になっており、古代の耐震技術がうかがえる。
この墳墓が再び光を浴びたのは20世紀半ば、考古学者たちによる発掘調査のときだった。発掘現場からは、装飾品や土器とともに、儀式の犠牲となった人骨が出土。研究者たちは、それらがミトラの宗教儀式と冥界信仰を物語る重要な証拠だと考えている。薄暗くひんやりとした空間に立つと、千年以上前にここで執り行われたであろう葬送の儀と祈りの声が、今も壁の間から静かに響いてくるようだ。ダークサイドミステリーか。
ミトラの宗教観の根底にあったのは、「死は終わりではなく、永遠の循環の一部である」という世界観。サポテカの信仰では、人は死後、冥界ミクトランを旅し、先祖や神々のもとへ帰ると考えられていた。そこで重要な役割を果たすのが、墳墓や神殿に施されたモザイク文様だった。幾何学の連なりは、迷宮のような冥界への道を示し、同時に死者を守護する結界でもあったという。
やがて、サポテカの地にミシュテカ族が進出すると、彼らの精緻な金工や装飾技術が融合し、ミトラの壁面装飾はさらに複雑かつ洗練されたものへと発展した。ミシュテカの伝承にも、冥界は水と大地、天空のあいだを行き来する“永遠の旅”として描かれており、雷文は天の力、菱形は種子と収穫、渦巻は水と再生を象徴する。こうして両民族の象徴体系が重なり合い、ミトラは死と再生を司る聖域として崇められ続けたのだ。
今日、遺跡を訪れる人々は、白い石が描く幾何学の美しさに目を奪われるが、その背後には、千年以上前の人々が抱いていた生と死、そして宇宙の循環への深い祈りが刻まれている。
遺跡の北側に、白い壁を陽に輝かせるサン・パブロ教会が静かに佇む。創建は1590年。スペイン植民地時代に築かれたこの教会を近くでよく見ると、壁の一部にミトラ遺跡の切石がはめ込まれているのがわかる。幾何学模様は削られ、ただの石材として再利用されているが、その質感や色は明らかに古代のものだ。征服と信仰、そして再生──歴史の層がひとつの壁の中に重なっている。