密林に静かに佇むアンコール遺跡群は、9世紀から15世紀にかけてこの地を支配してきたアンコール王朝の栄華と権力の証となる寺院を次々とこの地に建て、シャム(現在のタイ)軍の侵略によって破壊されるまでの600年間に1000を超えるといわれる建造物を築き上げました。アンコール・ワットを建立したスールヤバルマン2世の死から30年後、王に即位したジャヤバルマン7世は、トンレサップ湖上でのチャンパ軍との戦いでみごと勝利に導き、チャンパ王国の領土全域を併合しアンコール王朝は最盛へと進むのです。
そんな最盛時の王として君臨したジャヤバルマン7世は王都アンコール・トムの造営と国内の再統一に取りかかり、「大きな都市」を意味するアンコール・トムを建設しました。仏教に深く帰依して平和を祈願していた彼は、これまで続いたヒンドゥー教の寺院に仏教の要素を取り入れて、都城の中心に観音菩薩の大尊顔を彫った50もの四面塔を持つバイヨン寺院を置き、静かに目を閉じ微笑みを浮かべる拈華微笑のその顔は「クメールの微笑み」と称され、同時にジャヤバルマン7世自身であったともいわれています。
領土の拡大に伴い、道路網の整備を最重要とし、街道沿いには102ヶ所の施設療院と121ヶ所の宿駅を設け、民の動きを活発にし、道路は、西は現在のタイ北東部にあるスコータイまで続き、東は現在の首都プノンペンを通り、隣国ベトナム中部へと到着するほどのものとなっていったのでした。それらは近隣諸国との戦の際に、象軍なども通行可能な頑丈な軍事道路の要素も兼ねており、いつでも戦闘態勢を整えていました。ジャヤバルマン7世が築いた幹線道路は「王の道」であり、その全ての道はアンコールに続いていたのである。
しかし、ジャヤバルマン七世の統治下で最隆盛を極めたアンコール王朝も、ジャヤバルマン七世の死と共に大石造建造物の建設は終焉を迎え、同時にその国力は急激に衰退していきました。そして1432年、シャムのアユタヤ朝によって攻略されアンコール王都は陥落したのです。
アンコール王朝史上、最も最盛した時代に王として君臨したジャヤバルマン7世が残した功績、それは多くの寺院であり幹線道路なのです。
そんな「道」に想いを馳せてアンコールを旅するのも楽しいでしょう。
~アンコール遺跡群で見られるジャヤバルマン7世の代表的な遺跡~
バイヨン ー クメール建築美術を語る上では欠くことのできない遺跡。アンコール・トムの中心に建つ四面仏の寺院。須弥山を象徴化した仏教の宇宙観を表現している。
タ・プロム ー 母のために建てた仏教寺院。巨木が寺院に絡みつく姿は、修復をせず発見当時のままで保存されている。
スラ・スラン ー ジャヤバルマン7世のための沐浴場。日の出の時間が最高に美しい。
バンテアイ・クディ ー スラ・スランに付属する仏教寺院。「僧房の砦」という意味。
その他、癩王のテラス、象のテラス、ニャック・ポアン、プリヤ・カン、タ・ソムなど。寺院はカンボジアだけでなく、現在のタイの東北部・イサーン地方にまで痕跡があります。
ジャヤバルマン7世を追いかける旅もきっと楽しいヨ
そうだ、アンコールワットに行こう
2 comments to “ジャヤバルマン7世という男”
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ひろみさんこんばんは
クメール文化は奥深いですね
ますます興味がわいてきました
ますますカンボジアが好きになりました。
しかしカンボジアはベトナム戦争の後遺症が
まだまだあるのでしょう。
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こんにちは♪
歴史は調べてみると奥深く面白いです。
生で見るとより知りたくなるんですね~