橋の記憶 村の記憶

 

活発な経済発展が注目されているベトナム中部
ですが地方には今も戦争の爪痕が多く残っています。
中部を東西に流れるベンハイ川はかつて22年もの間
ベトナムを南北に分けていた軍事境界線。
分断当時から架かるヒエンルオン橋は
苦難の時代から平和が訪れた現在に至るまでの
歴史を見続けてきました。
1975年の終戦以降は国家統一に繋ぐ橋として
国の象徴とされています。

古都フエから国道1号線を100キロほど北上すると
空にはためく大きなベトナムの国旗が見えてきます。
分断当時はこの旗がはためかない日は
1日もなかったそうです。
米軍よって掲揚台が幾度となく破壊されても
柱にくくり旗をなびかせ「絶対に屈しない」
という意思を表していました。
同時に、突然行き来ができなくなった
南の人たちにも希望を与えたものだったといいます。
新たに再建された掲揚台には
祖国統一を喜ぶ国民が描かれています。

現在のヒエンルオン橋は
当時の姿を忠実に再建されたもの
徒歩で渡ることができます。
真ん中から2色に分かれている線が
当時の南北境界線。黄色が南ベトナム
青色が北ベトナムとなります。
南側に立つモニュメントは
橋を渡って北に逃れようとする母子の像。

 

川の両岸にそれぞれの監視塔が今もぽつんと立っています。

 

北側の橋の袂に戦争当時の資料を展示する
記念館が建っています。
入り口の蓄音機のようなものは
南側の民主共和国政権が宣言のために使用した拡声器。
実物はかなり大きいです。

南北分断のラインとなったベンハイ川。
小舟で漁をする長閑な風景に心和みます。
内戦当時、この辺りは非武装地帯であるにも関わらず
激戦地となった場所。
たくさんの枯れ葉剤が散布されたところでもあります。
枯れ葉剤の影響は8代先まで続くと言われており
今でも障害を持つ子供達が生まれてくる確率が高いそうです。

 

ヒエンルオン橋から海岸線へ車で15分ほど走り
ビンモック村に到着。
南部支援のための物資輸送の道が通っていたことから
非武装地帯でありながらも1万トンの爆弾が落とされた
ベトナム戦争史上もっとも壮絶な激戦地となりました。

 

爆弾が投下された箇所は今もクレーターのように陥没しています。

 

 

地上で暮らせなくなった村人たちが爆撃を避けるために
1965年頃から1972年頃まで掘り続けた地下トンネル。
疎開を拒んだ住民300人が毎日地下道を掘り続け
総延長3kmに及ぶ地下村を造成しました。
「トンネル内は暗いので皆さんちゃん
とついてきてくださいね。よろしくお願いします」。
とガイドさんを先頭に続きます。

 

滑りやすい真っ暗な階段を10段くらい下りたところで
ギヤッー」と尻餅をついて悲鳴をあげる
ガイドさんの声がトンネル内にこだまします。
何が起きたのか全くわからず
後ろに続いていたこちらもパニック状態に。
「3ヶ月前はここに人形はなかったのよ」と
細い通路の横穴に座っていた
人形のおじさんに悲鳴をあげたようです。

 

地下道は3層構造になっており通路の脇に作った
小さな空間に世帯ごとに暮らしていました。
その他、共同の台所、集会所分娩室も作られ
17人の子供がここで産まれ
ています。
また、長い地下生活を送っていた
村人の中には皮膚病を患い
今も後遺症に苦しんでいる人も多くいるそうです。

 

 

トンネルの出入り口は13箇所。
内部はいくつもの分かれ道や上下に続く階段があり
一人だと彷徨ってしまいそうです。
100mほど地下道を進み外へ出ると
目の前は南シナ海が広がっていました。

南北統一がして今年で40年。まだまだ当時の悪夢が
脳裏に鮮明に焼きついている国民も多いはずです。

取材協力:ベトナム航空

 

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