ウズベキスタンに残された日本人の足跡

ウズベキスタンの首都タシケントに
日本人抑留者が眠る墓地があります。

シベリア抑留者のうち
約2万5000人がこの地に連行され

さまざまなインフラ整備事業の
強制労働を強いられました。

ジャリル・スルタノフさん(70)は
抑留者たちの歴史を伝えようと

1998年、墓地近くに資料館を開館し
個人で運営を続けています。

資料館に展示されている
日本人が現地の人に贈った木製のゆりかごは

子供も孫も揺られて育ったといいます。
今も軋みひとつなく優しく揺れる。

他に民族衣装を着た女性をスケッチした肖像画など
当時の交流が偲ばれる品々が展示されていました。
ジャリルさんが子供のころに
友人の父親から日本人抑留者のことを

『遠くの国から連れて来られたにもかかわらず勤勉だった』
と聞かされ
日本人に興味を持ったそうです。
技術師として働くようになったジャリルさんは
建設技術の高さにも魅せられと言います。

ウズベキスタンが誇る最高級のオペラ劇場
「ナボイ劇場」の建設に
抑留者が携わったことは
有名ですが、
水力発電所や工場学校なども多くあります。
1991年、ジャリルさんはソ連からの独立を機に
日本人ゆかりの収容所や墓地などを巡り
当時を知る人からの聞き取り調査を行いました。
「明るく勤勉で、手先の器用だった日本人抑留者に
今も好意を抱いている人に多く出会いました」
外国のために頑丈できれいな建物を建ててくれたと
今もそこに住む人が感謝の言葉を述べるといいます。

2003年には、膨大な資料と証言をまとめた

ドキュメンタリーの自主制作映画が完成。
さらに新たなる抑留者の建築物があることを知り
現在2作目の準備に取りかかっています。

資料館近くに、87名の日本人抑留者が眠る
墓地があります。
お墓はウズベキスタン人の
ボランティアによって常に綺麗にされています。

訪れた時も一人の男性がお墓の周囲を
ホウキで清掃しているところでした。

ソ連時代には墓地を更地にするように
指令が出されたそうです。

しかしソ連軍の圧力にも屈せず
墓地を守り続けてきた

ウズベキスタン人と日本人抑留者の友情が
この墓地を訪れれば理解できます。

タシケントを旅行の際は、ぜひ
日本人墓地と資料館にもお立ち寄りを。

私たちの知らないもうひとつの
シベリア抑留の物語を見ることができます。

2 comments to “ウズベキスタンに残された日本人の足跡”
  1. SECRET: 0
    PASS:
    1940年、
    fusan生まれた頃のウズベキスタン、
    いろいろの歴史が、
    刻まれていたんですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)