フランクフルトから東へ110キロ
列車はフルダに到着します。
フルダはゲーテがライプツィヒの大学から
フランクフルトの実家に帰る途中で必ず宿泊した街。
模範的な修道院の街としてローマ法王から
様々な優遇を受けて発展した宗教都市。
みごとなバロック様式の建造物が多く見られる
「バロックの街」とも呼ばれています。
18世紀初頭に建てられた美しいバロック様式の市宮殿はかつてフルダ領主司教の私宅。司教に与えられた絶大な富と権力を象徴しています。
華やかな大広間では市議会が開かれます。議会よりも晩餐会のようがしっくりきます。
マイセンによく似た素晴らしい磁器は以前この地方で焼かれていたフルダ焼き。途中で粘土の入手が困難となり採算が合わないという理由からわずか25年で製造が打ち切られた幻の陶磁器といわれています。ちなみにブラウン管を発明したブラウンさんはフルダ出身なのだそう。ブラウン管の仕組みも館内に展示されています。
バロックの威厳あるカテドラルには
フルダの守護聖人である聖ボニファティウスが
眠っています。ボニファティウスは744年に
フルダにベネディクト派の修道院を創設し
活動範囲を広げていきました。その約10年後
ミサの最中に異教徒に襲われ殉教。
その後ドイツの聖人となりました。
ボニファティウスの墓は主祭壇の下にあり
地下へ下りる階段で行くことができます。
石畳の路地に温かな明かりが漏れていい雰囲気です。
さて、ゲーテ。ライプツィヒの大学に遊学していた
1765年、公共交通機関がなかった時代
移動手段として使われていたのが郵便馬車。
フルダはフランクフルトからワイマールへと向かう
郵便馬車の停泊地。だから帰省の度に行きも帰りも
余儀なくフルダで1泊したのでした。
ゲーテの常宿として知られているのが「ホテル・ゴールデナー・カルプフェン(金鯉亭)」。ガイドブックにもそう書いてあります。でもホテルの入り口にある看板には『ゲーテは1765年10月初めてフルダに宿泊しました。何度か逗留するうちに“ゲーテの西東詩編”の一部を創作しました。』と書いてあるだけで「常宿」とは書かれていません。詳しく聞くと常宿はここではなく今は存在していない白鳥亭とのことでした。鯉ではなく白鳥だったみたいです。 とはいえホテル・ゴールデナー・カルプフェンは100年以上続く老舗のガストホフ。クラシカルな内装の客室からは老舗の風格が滲み出ています。 各階の通路にはまるでギャラリー。私が泊まった部屋の階はデブキャラを描かせたら世界一の「ボテロ」コレクション。毎回、部屋まで行き来が楽しみです。 1Fはフルダで予約が取れにくい人気のレストラン。予約制の「ゲーテ・メニュー」はゲーテの好物などゲーテゆかりの料理を提供するコース。肉ドーンではない上品なコースです。人気なだけあり、とても美味。 ドイツ観光局
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