ドイツ中部の豊かなテューリンゲンの森に囲まれた
小さな町アイゼナハ。
ゲーテやルターバッハとの縁も深く
丘の上のヴァルトブルク城は世界遺産。
あまり表舞台に登場しませんが
中世ロマン漂う街並みが人気の観光地です。
アイゼナハの駅から15分ほどあるいたところにある
「バッハハウス」は、バッハに関する資料や
視聴覚室がある記念館。
バッハはアイゼナハで生まれて
少年時代までここで過ごしました。
記念館はバッハ親族の住まいを改造したもの。
館内に入ると、ちょうどチェンバロよる
ミニコンサートが始まるところでした。
この部屋にはバロック時代の
貴重な弦楽器や楽譜が展示されています。
ミュージックルームではカプセルのような椅子に座って
バッハの世界に浸ることができます。
バッハハウスを後に、丘の上に立つバルトブルグ城へ。
元気のある人は徒歩で30分。バスもありますが
途中から10分ほど山登りします。
この城のはじまりは1067年。ヴァルトブルク城は
この城のはじまりは1067年。ヴァルトブルク城は
1067年にテューリンゲン伯の命で城塞が建設され
その後に増築を重ね、現在の姿になりました。
これほど歴史の密度が高い城もそうありません。
煌びやかな部屋はハンガリーから輿入れした
エリザベートの部屋。王女エリザベートは
14歳の時に城主の息子ルートヴィヒと結婚します。
しかしルートヴィヒが従軍中に死亡すると
城を追い出されてしまいます。
その後は貧しい人々の救済に尽力し
病により24歳の若さで亡くなります。
その4年後ローマ教皇の命で彼女は列聖されます。
12世紀頃、大広間ではミンネゼンガー(吟遊詩人)
たちによる歌合戦が日々催されました。
その様子を19世紀の音楽家ワグナーが歌曲にしたのが
歌劇「タンホイザー」。ここがネタ元だったのですね。
この城が有名な理由のひとつとして
宗教改革者ルターとの関係が挙げられます。
1521年にルターはローマ教皇から破門された上に
神聖ローマ皇帝からも帝国を追放されます。
そんな彼をこの城にかくまったのが
ザクセンのフリードリヒ3世でした。
かくまわれていた約1年の間に
当時ラテン語以外で記すことを禁じられていた
聖書を1年かけてドイツ語に翻訳し
誰もが読める聖書が完成しました。
これは後にドイツ語の発展の
基礎にも繋がったのでした。
ルターを尊敬していたゲーテは
自身がワイマール宰相となってからも
ヴァルトブルク城の修復を指示しました。
その甲斐あってこうやって見学できているわけです。
ゲーテさんありがとう。
城の一部として隣接しているホテルの
レストランではテューリンゲンの森を眺めながら
伝統料理をいただくことができます。
ドイツ国内でも一目置かれる
テューリンゲンの焼きソーセージもありますよ。