ゲーテ街道400キロの旅 芸術に優れた文化都市ライプツィヒ

イェーナから鉄道で東へおよそ1時間30分

ライプツィヒはゲーテが学生時代を過ごした街。

古くから交易の要衝として商業が発展し

ドイツでもいち早くコーヒー文化が根ざした街。

亡くなるまでの27年間をこの街で過ごした音学家

ヨハン・ゼバスティアン・バッハも大のコーヒー好きで

知られています。

ライプツィヒの中心に位置するマルクト広場の

旧市庁舎は1556~57年に建設された

ドイツ・ルネッサンス建築の中でも美しい建造物に

数えられています。第二次大戦では

屋根部分が損壊したものの、市民の熱意によって

戦後元通りに修復されました。

まずは聖トーマス教会へ。土曜日はトーマス少年合唱団の
歌声を聴くことができるということで
たくさんの人が押し寄せます。
バッハはこの聖トーマス教会の付属学校の
教師として音楽監督をすると同時に
ライプツィヒ市の音楽監督も務めていました。

本日の主役となる天使のような少年たち。

拝みたくなります。彼らの透き通るような歌声は

本当に天使が降りてくるかと思うほど。

一度聞いたらしばらく耳から離れません。

出口で合唱団員の少年にCDをすすめられ

言われるがまま購入。

完全に歌声に脳が支配されていました。

すぐそばにバッハミュージアムがあります。

入り口に立つコーヒーを片手にした

バッハの看板が可愛らしい。

顔ハメだったらもっと良かったのに。

博物館の建物は、バッハ一家と親交があった
商人ゲオルク・ハインリヒ・ボーゼの旧邸
かつてバッハも度々ここを訪れ
建物内に現存する「夏の広間」では音楽を奏でました。
2010年に改装され、バッハの生涯や作品が
インタラクティブ&マルチメディア展示によって
紹介されています。 見学のハイライトになるのは
オリジナルのバッハ自筆譜をはじめとする貴重な展示物。
 
火~日曜10:00~18:00月曜休館 入館料8ユーロ
 
 
ライプツィヒはフランスのパリに次いでコーヒーが登場
古くから人々へ受け入れられてきました。
カフェ・バウムの入り口にはアラビア風の男性と
キューピッドが描かれており、コーヒーが当時
異国情緒あふれる飲み物であったことを伝えています。
 
 
当時はサロンとしての役割も果たし、シューマンが

仲間たちと音楽談義に花を咲かせたといいます。

社交好きなゲーテももちろん訪れています。

今でもそんな残り香が漂うカフェです。

 
ゲーテといえば恋多き男。そんなゲーテを象徴する
ポスターを発見。ゲーテと12人の女たち。
時計数字のように女性がゲーテを囲んでいます。
ゲーテの女性遍歴をわかりやすく伝えている優れもの。
 
 
ライプツィヒはパリのようなパッサージュが
いくつもあります。天井は優美なガラス格子。
ミラノのガレリアを参考に1914年に建設されました。
ミラノの大きなガレリアよりも
小径にあるパリのパッサージュの雰囲気です。
 
 
メードラー・パッサージュに入ってすぐの両側立つ
なにやらもみ合っているブロンズ像。
これはゲーテの大作「ファウスト」一場面。
像の前の店こそ、ファウストの第一部に登場する
1525年創業の酒場「アウアーバッハス・ケラー」です。
 
 
昼も夜も毎日観光局が押し寄せる人気のレストラン。
予約なしではかなり待たされます。
でもこちらはいわゆる新館。
ゲーテが学生時代に呑んだくれてた店は
見学ツアーに参加して見ることができます。
 
 
壁にはファウストの一場面が描かれています。
その中で見つけた和装の紳士は森鴎外。
ファウストを最初に和訳したことを称えて描かれました。
 
 
売店には森鴎外のドイツ滞在記も販売しています。
 
 
この暗い室内がゲーテの時代からあるもの。
壁のなどは修繕されていますが雰囲気は当時のまま
ここでファウスト博士が悪魔の力を借りて
ワイン樽に乗って飛んだという言い伝えを聞き
「ファウスト」の第一部にこの店を登場させています。
 

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