サマルカンドは 空と水を讃える青の都

 

シルクロードのオアシス都市として栄えた
サマルカンド。

夏でもパミール高原から冷涼な風と水が運ばれてくる
魅力的な環境は
いにしえより
常に争奪戦の的となってきました。

BC4世紀にはアレクサンダー大王に征服され
8世紀にはアラブ軍がやってきて
13世紀にはモンゴル軍の襲来で
町は徹底的に破壊されてしまいました。

しかし、14世紀後半、荒廃したこの地に
トルコ系の血を引く武将ティムールが大帝国を再建。
芸術におしみない財を注いだティムールは
青色タイルで水と空=天への憧れと平和を意味する
イスラムの世界観を表現した建造物を
次々に建造しました。

廟やモスク、神学校などの建築群に使用された
鮮やかな青いタイルは

遠征先から連れてきた職人の技術の賜。
乾燥地帯で色彩の乏しいサマルカンドには
青色の建物が特に映えます。

人々はそれを「サマルカンド・ブルー」と
賞賛するようになりました。

タシケントから高速鉄道でサマルカンド駅に到着。
サマルカンドの駅は、周りになにもない分
タシケント以上に立派に見えます。

「都市の玄関口」らしく、
きちんと芝生が敷かれ整備されています。

サマルカンドは中世の趣が残る古都とのことですが
そのような建物も雰囲気もここにはありません。
サマルカンドは新市街と旧市街に分かれていて、
駅は新市街にあります。

新市街はタシケントのようなビルが林立する
都会とは違いますが、
西欧風の建物に
百貨店や飲食店が並び綺麗で新しい雰囲気です。


君主が眠るグリ・アミール

まずはティムール朝の初代君主
ティムールが眠る「グリ・アミール廟」を参拝。

廟内は全て金の装飾で埋め尽くされていて
修復の際には内部の模様を再現するために
3kgもの金を使用したそうです。

天井は、薄暗い廟内でわずかに差し込む光に反射して
まるで青い炎が静かに燃えているかのようです。

天井や壁は植物やアラビア文字をモチーフとした模様で
細部に渡って埋め尽くされています。
ただただ、美しいの一言。

墓石は全部で8つ置かれていて
中央の黒く輝く
オニキスで作られた墓石が
ティムールです。
その他の墓石は
教師,第4代君主ウルグベクなど

息子、孫、側近たちが眠っています。
これらの墓石は位置を示しているだけで
実際の亡骸はここから地下3mの所に埋葬されています。

霊廟内には医師のベンチがあり
座ってそれぞれコーランを詠んでいます。

ささやき声が廟にやんわりと響いて、
目を閉じて聴いていると
意識が昇ってゆくような錯覚を覚えます。

とても美しい時間が流れていました。

旧市街の中心レギスタン広場

グリ・アミールから徒歩でレギスタン広場へ。
現在のサマルカンドはレギスタン広場を中心に
歴史的建造物が建っています。
レギスタン広場は青タイルで装飾され

た三つのメドレセ(イスラム神学校)で囲まれています。
昔は政治、文化、商業の中心地で
シルクロードを行くキャラバンが集まり、

様々な催しが行われ場所でした。

広場の西側に建つウルグベク・メドレセは
3棟で最も古い神学校。
この学校を建てた
ウルグベクは、グリ・アミール廟に眠るティムールの

孫にあたる第4代君主。同時に天文学者でもありました。
そのため、入り口のアーチには
星をモチーフにしたタイルが施されています。

ちなみに彼が建てたキャラバン宿の収益で、
救育者の給料や
奨学金をまかなっていたそうです。
なんて素晴らしい王様。


1420年に建てられたウルグベクのメドレセは、
当初イスラム教の学林として開校されましたが、
のちにウルグベク自らも講師となり、
多くの一流学者によって、
天文学、数学、哲学などの
講義も行われたといいます。


現在は入り口を入って中庭の周りは
「スザニ」という
ウズベキスタン伝統の刺繍布を
売る店や土産屋が入っています。

レギスタン広場の正面に立つティラカリ・メドレセ。
ティラカリとは「金箔を施された」という意味で、
その名の通り礼拝所の内部は
金箔を使って美しい模様を描いています。

建設時に5kg、修復に3kgもの金が使用されたそうです。
天井は一見丸いドームのように見えますが、
遠近法の技術を用いて
丸く見えるように描いているそうです。

向かって東側に立つのがシェルドル・メドレセ。
先に建っていたウルグベク・メドレセを模して
建てたそうですが、
ファサードには
偶像崇拝を禁ずるイスラム教義に反して

動物と人面が描かれているのが特徴です。
シェルドルとは「ライオン」の意味で、
鹿を追うライオンが描かれています。

ライオンの背には人面太陽が描かれています。
偶像は厳禁のイスラム教義に逆らって描いたのは、
支配者が自分の権力を誇示するためだったようです。

かつて最大を誇ったビビハニム・モスク

広場の北東に1404年に建造された
かつてはイスラム世界最大規模を
誇っていた
壮大なビビハニム・モスクがあります。

ビハニムとは第一夫人を意味します。
ティムールが王妃に捧げた
イスラム技術の粋を集めて
1398年に建造したモスク。

創建当時はイスラム世界最大の規模を誇っていました。
しかし1897年の大地震で
ほとんどが崩壊してしまったそうです。

その後、ソ連政府により20億円かけて修復され、
今も太陽の光を浴びて輝くターコイズブルーのドームが、
その存在をアピールしています。
モスクの前に置かれた
大きなコーラン台の下を
三回くぐると願いがかなうとか。

もちろん願いながらくぐってきましたよ!

世にも美しいお墓

ビビハニム・モスクから2.5キロほど東方は
旧サマルカンド、
アフラシャブの丘があります。
丘の南麓には
ティムール王朝ゆかりの人々が眠る
シャーヒズィンダ廟群があります。

イスラム教徒の聖地のひとつで
青タイルで装飾された
11の廟が
狭い通路の両側に隙間なく並んでいます。

墓といっても観光名所。
たくさんの人で賑わっています。

入口の門をくぐって階段を一段一段上って行くと、
青タイルの壮麗な霊廟の姿が徐々に見えてきます。
その様子は墓場というよりまるで街。

モザイク、マジョルカ、テラコッタなど
様々なタイルで装飾された
多様さと
美しさは中央アジア随一と言われています。

一つ一つをじっくり見ていると、
時間が経つのを忘れてしまいます。

霊廟内の奥には小さな部屋があり、
椅子に座ってコーランを朗読しています。
そこにいた一人の女性。

よく見ると眉毛がつながっています。
これは古い伝統で、
独身女性が美しく健康に
見せるために草を絞った液を眉毛に塗るそうです。

2度シャーヒズィンダ廟群に礼拝に訪れれば
メッカに一度行ったのと同じだとみなされるそうです。


 

2 comments to “サマルカンドは 空と水を讃える青の都”
  1. SECRET: 0
    PASS:
    まさに青の美ですね!
    行ってみたいと地図を見てみると・・
    女性の一人旅ですと、難易度高そうです。。
    (>_<)
    ひろみさんのブログにあったホイアンを同僚に推薦したら
    その地に訪れて、素敵なスーツを作って来ました。
    ジャケットとワンピースを合わせても2万円以下。
    ますますホイアンに行きたくなってます。
    (-^□^-)

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